毎週金曜日は「午後もじゅん散歩」
首都圏から飛び出して、純ちゃんが散歩や色々なアトラクションを見たり参加したりする平日とは違う旅行気分の今回のロケ地は沖縄県です。
先週に引き続き、那覇市ですが今週は首里城周りをメインに巡っています。
ここではじゅん散歩で高田純次さんが訪れた場所やその周りの名所・名物をさらに掘り下げて紹介します!
スタートは「ウィークリーマンション首里城」の前からです。
なんか贅沢な住処ですね。
こちらの前で今回首里城を案内して頂く方と待ち合わせをしている純ちゃん。
「どうも初めまして、ミス首里城ですか?」
「すみません、ミス沖縄です」
2022年度第40代ミス沖縄スカイブルーの翁長さんです。
今日は華やかに始まりますね!
首里城、有名ですがここで予備知識を。。。
場所は那覇空港からゆいレールで30分の首里駅が最寄り駅、車だと空港から20分に位置しています。
那覇港を見下ろせる、小高い丘の上にあるこの首里城はかつてこの沖縄地方を統治していた琉球王朝の王様が住んでいました。
創建年代は明らかではないですが、13世紀から14世紀には建てられたと考えられています。
その後、1879年(明治12年)に琉球王国が日本の管轄下として沖縄県となった後の首里城は小学校などの校舎としても使われていたそうです。
1929年には本殿は国宝となりましたが、太平洋戦争にて日本軍の施設があった事もありアメリカ軍からの砲撃で焼失してしまいました。
今でも首里城内には弾痕などが確認出来る箇所があります。
戦後は城跡に城域に琉球大学が置かれたのち、守礼門を皮切りに徐々に再建が進みました。
1979年に琉球大学が城内からの移転の後、国と県での本格的な首里城再建がはじまり、ついに1992年に完成。
正殿を中心とした建物や門群の一帯を首里城公園として開園となりました。
それに至るまで遺跡の発掘や写真などの資料調査、古老へのヒアリングなどを経て、膨大な人数の工芸家や職人が携わりました。
しかし沖縄県民の悲願でもあった首里城の再建から約30年後の2019年10月31日、漏電からの大規模な火災が発生し正殿等がまた焼失となりました。
首里城の焼失は先の太平洋戦争の焼失を含み、歴史上5度目となります。
2022年、令和の再建との名のもと2026年秋の完成を目指し再建起工式が行われました。
今回の再建は「見せる復興」を掲げて復元過程や職人の技術を一般に広く公開されるとの事。
そんな再建過程上の首里城を見て回ります。
まずは守礼門です。
沖縄ならではの赤い瓦を用いられた、横浜の中華街でも見られる中国の「牌楼」の影響が大きいこの門は特に有名ですね。
太平洋戦争の最中に一旦焼失しましたが、1958年に再建されたこの門は先の火災では無事でした。
「ここまで来たらお約束の!」
二千円札を出して、お札の図柄の守礼門と本物を比べて見ます。
「朝、コンビニ5軒回ってやっと仕入れて来たんだよ~」
沖縄以外では10軒回っても手に入らないと思うので、やっぱりここでは多く流通しているのですね。
2020年時点で二千円札の流通量は約1億枚。
沖縄県ではその中の700万枚(約7%)が出回っているとの事。
比較対象が難しいですが、沖縄県の人口が全国の1%であることや現金は首都圏に集中していると考えるとこの数字は特異に見えます。
2024年に予定される新紙幣では流通量が少ないために二千円札の刷新は無いのですが、逆に守礼門の図柄が入っている現行紙幣が継続して使えます。
沖縄の方にはこちらの方が喜ばしい事かもしれませんね。
次に「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」をミス沖縄から紹介して頂きます。
ユネスコの世界遺産となるこの門は一見すると家屋に入る様な門構えですが、その門の向こうは森となっています。
この森を園比屋武御嶽と言い、琉球国王が礼拝していた聖地でした。
石門はこの聖地の礼拝所です。16世紀に創建されたと伝わっています。
純ちゃんもこちらの石門の前でお参りします。
「どうか今日もステーキが食べられます様に」
バチが当たらないように。。。
首里城の本殿に行くまでにも周りには奇麗な水が湧き出ています。
現在は衛生上飲むことはできませんが、その昔はこの水を使って首里城でも泡盛を作られたそうです。
丘を登って、いよいよ首里城本殿のあった場所です。
ドン、と鎮座している大きな建物があります。
「(本殿は)近代的な建物になったんだね!?」
「違います~!」
これは本殿に使用される木材等を加工作業する場所で、台風や雨の影響がない様に建屋として作られました。
何も知らずに見ると本殿の位置にこんな建物があるとビックリしますよね。
この建物の中に観光客も入る事が出来ます。
実際の復元作業が間近で見られる、まさに見せる復興プロジェクトとなります。
「これじゃ、大工さん達サボれないよね」
作業される方々には大変ですが、、、ある意味今だけの見学となりますので良い機会となりそうです。
ここでミス沖縄と別れて、首里城から離れます。
守礼門から那覇港へ至る琉球石灰岩が敷かれた石畳の道、金城町石畳道を通ります。
16世紀ごろには造られた道で、今では300mほどしか残っていないのですが道幅およそ4mの両脇には沖縄の古民家が今もあり風情があります。
「ほら、雰囲気じゃないの~!!」
思わず純ちゃんも梶光男の「青春の城下町」を口ずさみます。
昭和39年のヒット曲です。(古い、、、)
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大小の琉球石灰岩が絶妙に組み合わされた「乱れ敷き」という手法で敷かれたこの石畳の道ですが、沿道の民家の石垣もこの石なので素晴らしい調和が図られています。
琉球石灰岩はサンゴ礁が長い年月を経て出来た物につき、まさに沖縄の歴史を感じる道です。
「釘一本も使ってない。台風も大丈夫」
休憩所に沖縄のおじいがいます。古民家も手直しして雰囲気を作っているんですね。
石畳道を下って歩くと、麻の素敵なのれんが掛かった大きな着物屋の様です。首里琉染さんです。
「”りゅうぞめ”って言うのかな、ちょっと覗いてみよう」
こちらの女将さんにお話しを聞きます。
「りゅうせん」と呼ぶとの事、沖縄伝統の紅型(びんがた)染めを施した着物や雑貨を販売しているお店です。
奇麗な紅型染めです クリックするとAmazonで購入出来ます
紅型と書いてびんがたと読む、琉球時代の13世紀ごろから続く沖縄の伝統的な染色技法です。
紅は色全般の意味になるそうなので、赤系だけでなく青や涼し気な色・模様もありますね。
王族など身分の高い者の衣装として染められていた後、日本本土との交易の商品の一つとなり技術が飛躍的に向上しました。
その後、戦争で多くの型紙や道具が焼失する悲しい時代があったものの、1984年には経産省の指定伝統工芸品に指定されるまで復興しました。
こちらの3階の工房へ案内される純ちゃん。
作業されている方がいますが、ちょっと通常とは違う感じです。
「これは紅型じゃないの?」
「サンゴ染めになります」
生地の裏にサンゴをあてて、紅型と同じ染料を使って版画の様にサンゴの自然の模様を浮きだたせるこの店オリジナルの染め方です。
ここでは来客の方もこのサンゴ染めを体験できるとの事。
早速純ちゃんもTシャツを染める初体験してみます。
大人は材料費込みで3300円(2023年8月放映時)
「作品のテーマはね、愛という名のもとに」
心臓の所にハートに似た型を使って赤色で染めてみました。
「右にあるのが、心臓です」
「間違えちゃいました」
染めている時は左側にしてますもんね、、、
ぜひ視聴者プレゼントにして欲しかったです!!
今日は2700歩でした。
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